読書メモ

An undergraduate. The contents uploaded are mainly notions about books I read, especially anthropology.

Godelier, Maurice 2011, The Metamorphoses of Kinship. まとめ②

pp. 10-22.

 

 

 MORGAN, THE FOUNDER

【概要】モーガンには二つの側面がある。一方で人類学における親族研究の草分け的存在であり、一方で、進化論的見方により人類を理解しようとした存在であった。西欧的な見方の非中心化を図り、親族研究を人類学の得意分野にする一方、結局、進化論的説明に終始したのであった。

 

ルイス・ヘンリー・モーガン(モルガン)、1818-1881。アメリカ、ニューヨーク生まれ。弁護士、政治家。イロクォイ同盟(confederation)のセネカ族の調査を行う。 

 

モーガン――人類学における親族研究の草分けとして

●当時の科学的な説明のパラダイムダーウィンの進化論。
セネカ族のフィールドワークにおける、親族に関する発見。
・それは、親族関係が、彼ら自身の論理を反映しているというものであった。そして、それはヨーロッパ人や、欧米の体系とは非常に異なったものだった。
① ヨーロッパでは、父と父の兄弟とを、それぞれ「父」「オジ(uncles)」と区別する。一方で、セネカではその区別がない。
② ヨーロッパでは、「イトコ(cousin)」と言えば、父母の兄弟姉妹問わず「イトコ」と呼ぶ。セネカでは、「FB、MZ」と「FZ、MZ」とを区別する。(人類学者が呼ぶところの、「平行イトコ」と「交叉イトコ」)
以上から、モーガンは結論を導き出す。
=これらの用語法を決定する原則において根本的な差異がある。
   それは、「類別的体系」と「記述的体系」という区別である。

『人類学とは何か』から引用。
「親族を理解し説明するために、モルガンはいくつかの進化論的図式を提案した。そしてそのうちの一つは、いまも用いられている。それは、「類別的」と「記述的」の区別である。」
エリクセン 2008:132]
モルガンの世代の文化史家も人類学者も、多くが親族に興味関心を持ち、そしてそれを進化論的眼鏡で捉えようとしていた。そしてその中でモルガンは、原始乱婚→母系出自→父系出自に発展したと考えた。[エリクセン 2008:133]

 

・加えて、イロクォイの外婚集団をラテン語のgensを用いて区別した。そしてこのような親族集団を「母系出自」と呼称した。

●北アメリカのインディアンの調査
 ・言語や文化は異なるが、親族の用語体系がセネカのものと同じだった。
→このような種の親族体系を「イロクォイ」とした。
 ・一方クロウやオマハは異なった用語体系や婚姻規則であった。
  →これらの相異から、幅広く親族用法や婚姻規則を調査することに。

●世界中の親族の分類
 ・親族に関する質問票を世界中の植民地行政官、宣教師、公務員(civil servants)に送付
  ・質問票=自己を起点/終点とした、親族構成を問うもの
 ・さまざまな親族を名付ける
  ・Punaluan(Hawaiian)やTuranian(Dravidian)など。
  ・ヨーロッパは「Eskimo」型
 ・1871、『人類の血縁と姻族の諸体系』を出版。スミソニアン学会の後援。

モーガンの人類学への貢献
 ・系譜を問う質問票を用いる方法の確立
 ・非ヨーロッパ社会における、社会の構成原理としての個人や集団をつなぐ原則の「発見」
 →これらは、モーガンの非中心化への努力に負うものである。
  ・彼自身の(つまり欧米の)社会や文化の枠組みに関する思考の非中心化

 

 THE INCOMPLETE DECENTRING

 

モーガン――進化論者として

モーガンの功績、他の側面
 ・手元のデータを整理し分析することで、人類の進化を明らかにしようとした
  ・1877、『古代社会』を出版
   ・人類は「野蛮な」状態から「文明化した」状態へ移行する
   ・頂点は、移住したヨーロッパ人によって建設されたアメリカである。
   ・3つの継続的な段階――野蛮、未開、文明化――にさまざまな社会を位置づけた
 ・西洋の形式を非中心化しようとする一方、進化論的図式による人類の説明を行う
  →結果として、西洋を頂点とした進化の道筋を提示(非中心化の失敗)
   ・マルクス唯物史観に位置づける目的で、エンゲルスによって援用される
 ・西洋の核家族と一夫一妻が最も合理的な家族形態
 ・モーガン以後数十年来、多くの調査が行われ、社会の機能における親族関係の有用性を確認
  ・アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの「部族」社会や、ヨーロッパ、アジア、ラテンアメリカの「小作農」社会などにおいて。

 

 LÉVI-STRAUSS AND HIS CRITICS

 

親族研究の転換――レヴィ=ストロースの功績

●親族は、社会の基盤であり社会の動力であると認識され始めるようになった。そしてそれは親族研究の増加につながり、著名な人類学者によっても行われた。

レヴィ=ストロースの功績――人間社会の条件とは
レヴィ=ストロースインセストタブーを必要不可欠な条件として提示(『親族の基本構造』)→親族関係の発生の条件、「本当の」人間社会の出現の条件
モーガン:近親相姦の排除が、家族や親族関係の変化の原動力であるとし、人間の進歩の条件とした。
 →レヴィ=ストロースの探求≒モーガンから進化論的図式を差し引いたもの
 ・レヴィ=ストロースの研究は、単に通常の理論的関心や人類学の枠をこえ、人間に関して世界的な規模で探求するものだった。
 ・また、フロイトインセストタブーについて言及している(『トーテムとタブー』)
  ・息子による近親相姦的な父の殺害によって、親族関係が出現するとした
  ・『親族の基本構造』においてレヴィ=ストロースフロイトについてあまり言及せず
   ・フロイトの説―殺害による女性交換―は容易には実証できないことによる
 ・レヴィ=ストロースにとって(With Lévi-Strauss)、親族の研究は非常に見込みのある研究領域であった
  ・この後、レヴィ=ストロースは神話研究へ没頭。
  ・彼を支持する学徒によって親族研究は継続。「構造分析」によるもの。
 ・しかしながら、レヴィ=ストロースの打ち立てた体系は、多くの批判を受ける
  ・たとえば、フェミニスト人類学者
   ・親族関係において女性交換が「自然な」ものならば、ジェンダーの平等性は不可避的に達成不可となる

 

親族研究への批判――リーチ、ニーダム、シュナイダー

 エドマンド・ロナルド・リーチ(1910-1989)
 イギリス生まれ。レヴィ=ストロース構造主義に共感、独自の深化をはかる。
 『プル・エリア』、『高知ビルマの政治体系』、『聖書の構造分析』など。

 ロドニー・ニーダム
 ディヴィッド・シュナイダー

●リーチによる親族研究の批判と発展
 ・セイロンの村の民族誌『プル・エリア』(1961)における記述
  ・この村において「親族のつながり(kin ties)」というのは、単なる言葉に過ぎない。より重要であったのは土地との諸関係や土地所有の方である。
  →親族関係が人間社会の根幹であるという仮説を打ち崩すもの
 ・リーチのこの批判はケンブリッジやオックスフォードの人類学者によって支持される
  ・そこにおいて親族や婚姻、近親相姦や出自といった概念は詳細に吟味され、従来の定義とは相反するようなさまざまな事実に直面することもあった。
 ・『人類学再考』(1961)における記述
  ・婚姻とは普遍的な定義を与えうるような制度ではない
 ・1969年にリーチの主導のもと、ASAは宣言
  ・人類学はしっかりとした基盤が必要。そしてまず議論されるべきは「親族」である。

●ニーダムによる親族研究の批判と発展
 ・シンポジウム「親族と婚姻」の準備計画を担当
 ・シンポジウムにおける論文を集めた論集『親族と婚姻の再考』(1971)を出版
  ・リーチと同じ視点から親族研究を批判。批判とともに、研究のさらなる拡大、発展をはかる

●親族の不可能性?――リーチとニーダムの批判
 ・両者は研究の更なる展開をはかった一方で、もはや「親族」の研究は不可能ではないか、という見方を提示
  ・ニーダムの引用(p.18中央)
   「人類学者は親族研究に長けているのではなく、分析に長けている」
    →研究の恣意性を批判。「親族というものなどなく、よって親族理論もありえない」
  ・リーチの「皮肉」
   「親族用語の体系に関する研究は、セットとしてうまくいっていた」
 ・リーチやニーダムの、親族という考えへの抵抗と一般理論への批判は、ゴドリエにとっては親族研究の死の宣告ではなかった。むしろ、親族研究の新たな基盤―親族と経済、権力、宗教などをつなぐといった―であった。
 ・ただ、シュナイダーが親族を基盤としない社会を提示することで、これも15年後(1984年)にはもはや当てはまらなくなる。

●シュナイダーの一撃――親族に基づかない社会の提示
 ・Critique of the Study of Kinship(1984
  ・自己批判を通じて親族を基礎としない社会を提示
・ヤップ島におけるtabineauに関する民族誌
 ・従来の主張:tabineauは母系親族体系と結びついた拡大父系家族
 ・改訂の主張:tabineauやヤップ社会は親族に基づいておらず、別の関係や価値―経済的関係、宗教的、経済的価値―によって人びとは結びついている。
          →親族を礎としていない
・シュナイダーは、親族は「普遍的に認められた基本的な」価値であるという考え方を批判⇔レヴィ=ストロースと反対の見方

●シュナイダーの結論
 ・親族に関するすべての研究は自民族中心主義の定義を基盤としていた。
 ・親族研究は、直接的に、そしてほとんどそのままにヨーロッパの民族的認識論から由来したものだった。つまり、「血は水よりも濃い」というものである。
 ・モーガン以来の親族研究というのは、単に堂々巡りをしていただけだった。
  つまり、まだ本当には始まっていない。

 

親族研究の価値?――ゴドリエの立場

(編集中)

Godelier, Maurice 2011, The Metamorphoses of Kinship. まとめ①

 

Introduction, pp.1-10.

 

1.「親族」の変化――現代の展開

  20世紀の最後の30年は、家族関係や家族についての考え方において、変動(upheaval)が見られた。同時に、私たちは人びとの生活における甚大な変化も見た。

  いくつかの事実がこの変化を実証している。

●異性間におけるもの

 例えば、結婚の減少、別居や離婚の増加など。そしてこれにともなう再婚した家族や父子(母子)家庭の出現および増加。
ただ、上記のように、婚姻上の家族が変容する中で、結婚の軸(axis)は弱くなろうとも、認知(filiation)の軸はいまだなお強固である。つまり、「誰の子どもであるか」については、私たちの考えは強固であると思われる。

  しかし、認知それ自体ももはや自明ではない。というのも、近年の生物学における発見や新しい生殖技術の登場によって、それを定義することが非常に複雑になっているからである。たとえば代理出産などがそれである。
ここから生じる疑問:「本当の」母とはいったい誰であるのか?

  ただ、これらの変容が親族の世界を深く変えようとも、ヨーロッパにおいて長らく親族の定義および表象(representation)の基盤であった原理を揺るがしているわけではない。
 その原理:親族とは基本的に、生物学的、系譜的つながり(tie)両方の世界である。そしてそのつながりというのは、時間的に連続した異なる世代間(親と子など)、あるいは同世代間(夫婦)の、同性(父と息子、兄弟、姉妹など)または異性(夫婦、姉弟など)の個人間でのつながりのことである。

 

●同性間におけるもの

  にもかかわらず、以前は禁止されたり抑圧されたりしてきた「夫婦(unions)」が、ここ20数年来で、明るみに出るようになったし、程度の差こそあれ世論にも暗黙に受け入れられるようになった。たとえば同性カップルなどがそれである。

  ここで私たちは二つの逆説にあう
①同性カップルは結婚を求める一方、異性カップルは結婚を避けつつあるという逆説。
②同性カップルにおいて、親であること(parenthood)というのは、単に多かれ少なかれ社会的、感情的なリアリティであることによって、十分に実現されうるものであるという逆説。

 

●これらに向けて

  これらの現代の展開(development)は今一度、親族に関する人類学の秀でた役割を確認するものであるかもしれない。そしてそれは、多くの法学者、政治家、心理学者たちによって実証されてきたかもしれないことでもある。
だが、人類学者はいまだ親族に関する興味はあるのだろうか。人類学者は親族について1980年代にも関心を持つことをやめてしまったのではないだろうか。

  人類学の花であり得意分野であると考えられてきた親族の研究について確かめる前に、私たち自身の親族システムの原理について振り返ってみよう。

 

2.西欧における親族の歴史――19世紀

  西欧のシステムには3つの構成要素があるのだが、それは私たちの社会で親族関係の深層構造(deep structure)を維持するよう、私たちを互いに結びつけるものである。そしてそれは、西洋人が生まれ育つときのフレームワークである。
 3つの構成要素
 ①一夫一妻である核家族
 ②姻戚あるいは血族によって関係した家族のネットワーク
 ③自己を起点とした親族(Ego’s kindred)[文化人類学のレッスン参照]

 

●親族、アンシャン・レジーム以前/以後、「教会」から「市民へ」

  親族の分野を成すこれら3つの要素は、アンシャン・レジーム下で存在した。しかし、これらは他の要素とも関連していた。それはフランス革命と1804年のナポレオン法の発布の後に消えてしまったか、新しい社会での状況の変化とその変化による新たな道徳、性に関する秩序にさらされたりしたか、というものである。

  それというのは、アンシャン・レジームに特有のこの、価値、実践、権利の形状(configuration)のことである。これらは、1804年の「市民的な」結婚の制度とともに変化し始めた。結婚は、「教会へ記録」するものから「国の登録機関」へ記録されるものになった。

  19世紀では、同棲はいまだ汚名を着せられていた。
その汚名:同棲は、低階級の人びとによる、あるいは社会のしきたりを守らないことを選んだ個人による実践である、という汚名。後者は例えばアーティスト(artists)。
  権威を行使するのは相変わらず父だった。もちろん、同性婚は禁止されていた。そして結婚は、市民的なものにせよ宗教的なものにせよ、カップルをつくりだした(founded)行為(act)だった。

 

3.西欧における親族の歴史――20世紀

  いま、19世紀をさっと概観したが、これは1960年代以来増加してきた変化を示すためのものに過ぎない。1960年代というのは、変動のはじまりの中で新しい社会が形を帯び、広がり始めた(began to thrive)時期だった。そしてこの変動というのは、第二次世界大戦とその後の世界の二分という局面までに西欧でつくられた(wrought)ものだった。

 

●権威(authority)――男女平等へ

  1970年のフランスでは、父の権威(authority)という考え方は放棄され、親の権威というものに取って代わられたが、これは父母双方に平等に共有されたものであった。そしてこれは、親に対して責任を申し付けた(enjoined)のだった。何に対する責任かというと、道徳、安全、教育、健康、さらには別居や離婚に関する責任であった。親の権威は、こうして公衆の秩序のための機能(function)とみなされ、これは国によって保証されたのだった。

  ただし、1975年にはフランスで、「相互の同意」による離婚が可能となり、2009年には結婚したうちの39%が離婚している。

  というわけで、一般的に言って、私たちの社会では、結婚はもはやカップルをつくりだす行為ではないのである。

  たしかに、縁家(related families)のネットワークはいまだ存在しているし、その成員にサポートをおこなったりする。そしてそれは生まれや婚姻上の家族の境界を越えおこなわれている。若者の失業や不況の時には、特にそうである。しかし、これらのネットワークは縮小し始めているのである。

 

●変化の要因――「個人」への価値づけ

  振り返って、20世紀半ば以来の西洋社会で親族の形態や実践を修正(modify)してきた要因とは何なのだろうか?
 ①:カップルをつくる相手を自由に決める権利に対する強調(emphasis)
 ②:社会的、個人的生活のあらゆる領域での両性間の平等への社会的圧力の増加、およびジェンダー役割の変化。
 ③:子どもおよび子どもであることへの積極的な価値づけ。子どもは「理性がない」というような存在ではなく、すでにひとりの人(person)である。そしてその誕生は耐えられないものと言うよりは望まれたものである。さらにいえば、医療の発達で、計画されたものでさえある。

  これらすべての変化は、深化する傾向(deeper current)に伴うものである。そしてその傾向は親族の分野から現れたものというよりは、社会的生活すべての領域において見られる傾向である。その傾向とは「個人というもの」の促進(promotion of the individual)である。
  親になることは困難になってきているし、私たちは、多くの家族が親の権威のはかりしれない危機(profound crisis)を経験しているのを目の当たりにしている。これは母というよりは父により影響しているかもしれない。というのも、伝統的に父がおきてや権威を体現する存在であったからである。

  要するに、21世紀初頭における家族は、もはや社会の礎石でもなければ安定的な基盤でもないように見える。加えて子育ての権利を要求する同性カップルの増加も見られるのだが、これも結婚、家族、親であることを予見するのを難しくさせる要因になっている。

 

4.親族――世界的には?

 

●西欧の世界的な展開?

  世界的には、家族に対するこれらの最近の変化は西洋の民主的な社会の展開(evolution)に伴っているように思える。その社会に見られる特徴は、個人の主導権と利益を尊重し、それゆえ原則として、公私における専制的な形式を拒否するものである。

  第二次世界大戦後から数十年の間に現れはじめたこの展開を誰も予見できなかったし、今日においても誰一人この運動が私たちをどこへ連れていくのかを知らない。

  この家族の展開は社会全体の世界的な展開(the global evolution of society as a whole)と関連したものである、と表現することは、次のようであるといえよう。つまり、結婚、家族、愛や欲求についての多くの言明を、非常に多くのイデオロギーの宣言と見なすようなことである、と。ここに隠れるのはもちろん個人であることへの尊重だろう。

  これに対しては、世界が混乱したと悲観する者、家族というものはすでに瀕死なのだと考える者、個人の自由獲得を喜ぶ者などさまざまである。

 

5.このような状況へのあるべき態度

 

●どのようにアプローチするか

  このような、今日の社会に対する「悪魔化」や「天使化」のはざまで、判断を下す前に、実際の状況や実践に関する子細な調査(inventory)を行うという態度があることは明らかであるだろう。
  この態度においては、理論的な想定を括弧に入れ、人びとの話に耳を傾けることである。人びとは彼ら自身や他者について、あるいは彼らの過去や現在について話すだろう。そして現在の実践に関する論議に正面から向き合うことである。そしてこれらの実践や論議は、個人の個人的な記憶や言及といった時間枠組みよりもさらに長期の時間枠組みに位置づけられる必要がある。この時間枠組みとはヨーロッパ社会の近代史(the modern history)の枠組みである。

  上の態度では、歴史家と人類学者との手法を合わせて用いることになる。
・歴史家・・・よく知られていない過去を再生する(bring to life a past)
・人類学者・・・距離を取りつつも内部から現代社会を観察

 

●人類学は親族研究から退いたのか?

  40年の間で、世代ごとに人類学者は親族研究の原理(principle)や基盤(biological or/and social)を定義、再定義を繰り返す中で、その調和(accord)をついに崩してしまったように思われる。ただ、「ポストモダン」を標榜する人類学者以前でさえ、人類学者にとって親族は主要な対象で無かっただろう。

  実際には、親族研究の「不在」は、以下の研究が示すように、人類学の別の領域へと移行したという事実に由来する。そしてそこでは新たな装いで、あらたな問題へと向かうものになっている。言い換えれば、親族の分析は人類学が何十年と堂々巡りし、誤った原理(false principles)のもとで不毛な問題に拘泥していた場所を捨て去ったに過ぎない。この空白期間は、何も死の宣告というわけではない。
  だけども、親族研究の始まりから見ていくことにしよう。

 

以下、メモ

・親族に関する知識

・簡単なフランス史(cohabitation...同棲?なぜ蔑視されていたのか)