遅刻

 高校生だったころ、よく学校に遅刻していた。

 通学路は次の通りだ。まず自宅から最寄り駅まで自転車でおよそ10分。下り電車に揺られること約20分。電車を降りたら、駅から学校まで歩いてだいたい10分。合計40分。教室には8時20分までに着かなくてはいけなかったのと、電車ダイヤの都合から、朝7時半には家を出なければならなかった。

 自宅から駅までの、自転車の移動が勝負だった。ここに余裕があると電車に間に合う。電車が遅延することはほとんどないので、出発時刻に間に合いさえすれば自動的に遅刻しないことが決まる。逆に言えば、学校に間に合うギリギリの電車に乗り遅れると、電車の中で何をしようが遅刻が確定する。

 遅刻をした朝には、次の電車までの20分間を自分は持て余すことが多かった。遅刻をすると、急に一人だけ取り残されたような気持ちになる。そうした置き所のわからない心情とリュックとを抱え、人気の少なくなったベンチで次の電車を待っていたのだった。何をするでもなく、ただぼんやりと。

 

 ある冬の朝、例のごとく僕は遅刻をした。正確に言うと、電車に乗り遅れたために遅刻が確定した。仕方がないから次の電車に乗る。これで遅刻は避けられず、学校に着くやいなや先生からの説教が待っているだろう。そのことを考えて、少しだけ嫌な気分になった。金曜日のことだった。

 電車が学校の最寄り駅に到着する。あろうことか僕は降車を見送った。駅員が出発時刻を確認する。冬の乾いた空に響く笛の音。無味乾燥な音を立てて閉まるドア。降りて学校へ大急ぎで向かうはずのもう一人の自分を車窓に映し、電車は進む。僕の行き先はどこだろう。しかるべき道から逸れてしまった僕は、この先の地図をもちあわせてはいない。レールから外れる僕を乗せて電車はレールを進んだ。生真面目なくらいに一直線に。

 糸が切られた凧のようになって、しばらく電車に揺られていた。何をするもなく座り続け、終点の駅で降り立った。通勤通学の人混みのあとで、駅がすっかりくたびれていた。時間は午前9時。日が昇り、朝がはがれていくのが感じられた。

 ベンチに腰を掛ける。無機質な素材から、ひんやりと冬の冷えが背筋を通って首まで伝わってきた。居るべきはずの具体的な日々はガラガラと崩れ去り、そのほこりが風に舞った。目の前にはどこかへ続くレールが敷かれていて、所狭しと敷き詰められた石の上に等間隔で枕木が並んでいる。わけもなく焦燥感に駆られた。

 

 三番線。しばらくして到着した上り電車に僕は乗り込む。「学生服を着た少年がこんな時間に…。」僕を見た人はどう思うだろう。いったい僕はどんな文脈に立てば、意味を成すだろう。病院に行って通学が遅くなった生徒、学校の終業時間がたまたま遅い日の登校、単なる遅刻、あるいは…。それぞれの世界を揺すらないように、慎重に振る舞う。いかに自身を取り繕おうとも、遅刻したことには変わりはないのだけど。

 すでに先の見えるレールを駆ける電車に揺られた僕は、少しだけ満たされた気持ちになっていた。

クリームソーダが泡を立て

交わした言葉が浮かんでは消えていく

中身は空っぽの

透明なブドウ

甘くて酸っぱく、ときおり渋い

降り出した雨が斜めに線を引き

待ち針のように果実を突き刺す

穴から傷みが広がって

会話のかたわらに腐り落ちた

皮を拾って縫い繕う

心模様の写すシャツ

あいまいなフレーズで濁ったクリームソーダ

少しこぼれて染みになった