お寿司の記憶

 

このごろ、お寿司を握った。

 

 


友人とスーパーマーケットを歩いていたとき、刺身が目に入った。
横から見たクジラのシルエットをイラストにしたような形の切り身だった。
あるいはペニー・ファージングのようなバランスとも言える。
そんな形なので、おそらく扱いづらいためにいつまでも売れ残ったのだろう、いくぶんか安くなっていた。
なんとなく気分が高揚して、寿司でも食べようということになった。

 

相変わらず居座る冬の寒さを感じる夜道をしばらく歩き、友人の部屋に向かう。適当に雑談を交わしては行きかう人や車に目をやる。住み慣れたはずのこの街にどんな人がどんなふうに暮らしているのかを僕はよく知らない。同じようにお寿司を握ろうと企てている人は、いったいどれくらいいるのかと考えると、たぶん米粒ほどもいないだろうと思い至る。

 

部屋に戻る。米を炊き、合わせ酢を用意し、刺身をさばく。米が冷めたら握り始める。水の入ったボウルを用意して、手のひらに米がつかないように工夫する。
付きすぎるとべちゃべちゃしていけないよね。言うまでもないこうした状況の確認を会話のなかに招き入れては、ときおり冗談を言い合う。何かあるわけでもないが、何もないわけでもない。
そうこうしているうちに、武骨に握られたお寿司がお皿の上に並ぶ。
なんとなく形になっているので、お寿司なんだろう。

 

玄米茶を二パック、ポットにいれて熱いお湯を注ぐ。少しだけ濃い。
お寿司を箸でつかみ、口へ運ぶ。こころなしか重量感のあるかたまりを、底からすくうようにして持ち上げる。ほんのちょっと醤油につけて、一口でほおばる。

 

口に広がる醤油の香りと、生魚のにおい、そしてもったりしたお米のかたまり。大きいお寿司を放るようにして口へ入れたので、頬が張ってすこしだけ食べづらい。

 

 

 

そういえば…、と、僕はふと目の裏側でいつかの一場面を思い出す。
その刹那、何をせずとも目の前に浮かぶイメージがあった。

 

 


それは昔、僕の誕生日や何かお祝い事があるときにおばあちゃんが握ってくれたお寿司を家族で食べるシーンだった。ほんの一瞬、どこからともなく現れるいつかの断片。
僕は暗い廊下から少し開いた襖の向こうを覗いている。蛍光灯は白い光を放っていて、漏れ出る光がとてもまぶしい。深まる夜に一筋の線を描くそのわずかな隙間から、こげ茶色の卓を囲む人々が見える。僕はもうそこに行くことはできないが、少しだけあの匂いが漂ってくるようだ。
そして床は、ひんやりと冷たい気がする…。

 

 

でも、それだけだ。それは本当に一瞬の出来事で、雲をつかむような、確かにあるけれどとらえることはできない、かつての僕の世界のかけらだ。
記憶の海に広がる浜辺で、さまざまな思い出を奏でる巻貝をひとつ拾い上げれば、懐かしい音への誘われるだろう。

 

そうした渚の散歩は、しかし懐古というわけではない。
僕はそれに深く突き動かされることもない。だけれどただ、ふと不思議だなと思う。
いまはもうおばあちゃんは生きていない。しかし、確かに生きていたのだなと、過去形のものとしてあらためて僕は実感する。
そこにおばあちゃんはもういないが、目の前の無骨なお寿司が何かを語っていることは確かな感触として舌の上に残っている。

 

 

悲しいんだろうか?

わからない。

どこかに昔を懐かしむ気持ちがあるのかもしれない。

それ以上でもないかもしれないし、かといってそれ以下でもないかもしれない何かの断片。

 

 


話題は横道にそれる。最近読んだニュースの記事には、「記憶を思い出しやすくする」という製薬産業の意欲的な試みが載っていた。認知症の改善に効果が期待されるとのことだ。
僕はこのお寿司の体験を引き合いに出して、ぼんやりとニュースの内容を反芻する。
いったいどういう記憶を思い出すものなんだろう?その機序の詳細を知っているわけではないが、僕はお寿司の無骨な舌触りを、あの酢飯が口いっぱいに広がり頬が少しだけ張るあの感じを意識せずにはいられない。

 

もしそれが記憶として、部分的にでも自分を形作るものであるとすれば、化学反応によって"再現"できる記憶、つまり自分のある一部とは、一体何なんだろう?

 

そうした試みを悪いことだとは思わない。寿司でなくとも、なにか具体的な出来事が引き出す記憶というのはあるだろう。 それは、何気ない日常に潜むちょっとしたアルバムのようでもある。雨が降りはじめたアスファルトの匂いや、少し離れたところからやってくる潮の香り…。そうしたものに導かれて、不思議な気持ちになることは日々に余白を生み出す。

 

むしろ、そういう諸々の「お寿司」が「薬」であると言い換えることもできるかもしれない。
僕自身の記憶を再現する反応の連鎖を呼び起こす装置の一部として、武骨なお寿司をたずさえることだってできなくはない。

 

 


ただそこにあったという記憶を眠りから覚ますだけ。瞬きを数回すればどこかへ行ってしまう親しい時間。昔そこに自分がいたことを予感させては、パッと現れてわけもなく僕の足を止める、そういうやつが生活の道端にたたずんでいる。

 


次にお寿司を握る日までは、まだしばらく時間がありそうだ。

汲み取れているだろうか

(周りくどいある場面にて…)

目の前に誰かいるとき、少なくともその人のことを理解しようとするために、その人についてとらえようと努力する場合が、なくはないだろう。
目の前の誰かというのは、まず文字通り眼前の誰かということもあるだろうし、あるいはそこには居合わせていない誰かであったり、想像上のだれかであったりするかもしれない。
(誰かという「人」でなくても、「物」でもいいかもしれない。でも、とりあえず誰かで考えてみよう…)

そうした誰かはだいたい、概念や属性、特徴でくくられる。それはたとえば「やさしい」とか「早口だ」とか「男っぽい」とか「優秀だ」とか、あるいは「何処々々の人だ」とか、そういうくくりである。

こういうふうにして誰かをくくることに対して、自分自身はいくらか気を遣うことが少なくないと思う。それは誰かへの配慮であるというよりは(つまり、ポジティヴな意味というよりは)、どちらかというと教育によって付いた癖であり、自分自身の保護のためである。
正確に言えば、ある種の教育による(いくぶんか誤った)成果として、自分自身の癖ができているからであり、そして自分がそうされたら悲しいだろうということを思っていると提示するためである。

その結果どうなっているかというと、誰かについて話すとき、「何々という特徴があると言えるかもしれない状況が誰々にはある」という、非常にまわりくどい言い方をするようになっている。
そしてあとにはこう付け加えることもある。すなわち、「そうした状況は誰々に備わるものかもしれないし、他の誰かとの相互のかかわりによって生じているかもしれない」と。

こうした判断の留保(あるいは判断の一時性)について、良いとか悪いとか、僕自身はそうした部分をあまりうまく考えられていない(あるいは二者択一で考える必要もないのかもしれない)。

ではなぜこんなにもまわりくどい(ように見える)ことをしているのかといえば、僕がある一面を切り出した誰かというのは、また別様にも切り出されているだろうと推測するからである。

Aにとって、Bはsとうつる(という状況がある)かもしれないし、他方でCにとってBはtとうつる(という状況がある)かもしれない。
そうした一面的ではないBについて、自分の見方は部分的なものにすぎないと考えると、留保をしたくなる。
(便宜上AにとってもCにとっても「B」としたけれど、別に同一に「B」というわけでもないだろうし、「B」としての見方が可能になっているのも必然性はないのかもしれない)

 


そうこうした過程を経て、誰かについてどうにかして捉える。するとその捉えたイメージはそのものとしてある人々の範囲で流通し、そういう見方が一定の説得力というか常識らしさを帯びていく。
どうやらそういうものらしい、と。

そうした流通は、長かったり短かったり、狭かったり広かったりする。親しい人の間柄だけということもあるだろうし、あるいは街とか国とか、そういう「大きな」部分でのこともあるだろう。そうしてある範囲の人々のあいだで誰かについてのイメージが流通し、多かれ少なかれ人々の行為に影響を(おそらく)与える。

 


自分は、そのイメージの源泉から、誰かについて汲みきれているのだろうか。そして自分は誰かによって汲みつくされているのだろうか。「誤解」がどこかにあるのではないだろうか。

しかし、他方で、そんなにも十分に汲み取れることなどありえるのかという疑問はある。なにより、常にそういうことを考えているわけでもない。そんなことをしたところで疲れることもある。こういうこと考えることで何になるのかとも思ってしまう。

何をどうせずとも、汲み取り、汲み取られ、イメージは固まり、流通し、行為を呼び起こす。

 


ただいえるのは、もし勝手に決めつけられたら自分は悲しいだろうということだ。でも、それが決めつけであると異議申し立てをできるかどうかもわからない。何より、自分もまた決めつけているのだろうし。

 


今日は少しだけ暖かい日だった。