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読書メモ

An undergraduate. The contents uploaded are mainly notions about books I read, especially anthropology.

「endless 山田正亮の絵画」

 ずいぶん前のことだが、東京国立近代美術館で開催されている「endless 山田正亮の絵画」へ足を運んだ。
感想から言うと、非常に良い展だったと思う。ルールをわからず言うと、自分は展示されている絵画から判断して、山田正亮は「色、対象、見るということ」をひたすらに探求していたように思えた。


山田正亮(1929-2010)は、「絵画と契約」した男です。その背景にあったのは、少年期の過 酷な戦争体験。罪もない多くの人々の理不尽な死を目の当たりにした山田は確かな価値を求め、なぜか絵を描くことにその身を託し、その後、半世紀以上にわたり、ひたすら描き続けました。かれにとって一枚一枚の作品の制作は、常に身を削るような真剣勝負。一見みな同じようなストライプに見えても、それぞれの作品はみな違った表情と個性を持ち、何層にも重ねられた絵の具が、とても豊かな視覚体験へと誘ってくれます。5,000点を超える山田の絵画のなかから選りすぐられた219点を通して、今日にあっても衰えることのない絵画の力を、そして、描くいとなみの奥深さを実感していただければ幸いです。ただし、めまいにはご注意を。
(パンフレットから引用)


ここからもわかるように、山田は生涯を通じて作品を制作し続けた。まさに「絵画と契約」した男といえるだろう。いったい彼は、制作を通じて何を求めていたのだろうか?実際に見に行った感想と、パンフレットをもとに(ルールを無視して)書いてみよう。


「最初の記憶」――最晩年の制作


 展示はまず、「Color」と題された山田の最晩年の作品から始まる。入り口には9つの絵画が展示されている。青、赤、緑・・・。単純な「色」が配置されているように思える。色・・・。
山田によれば「色彩というのは画家にとって最初の記憶みたいなもの」であるという。「最初の記憶」が最晩年に描かれたというのは興味深い。
 展示を見に来た人にとっては、よく意味が分からないように思える。しかしながら、展示を巡り終えるころには、なぜ「色の絵画」が展示してあったのか、氷解するかもしれない。


作品の変遷――静物画、解体、アラベスク模様、長方形


 初期の仕事は静物画ではじまる。これらの作品は、実際の写生からではなく「記憶から描かれた」とのこと。最初期にくりかえし登場する砂糖壺は、さまざまな配置のなかでことなった表情を見せる。(Still Life 1948-1955)
 しかし、砂糖壺をはじめ描かれていた「具体的な」物たちは、次第に空間との境目があいまいになっていく。
 そして、いつしか完全に静物画のモチーフは解体され、渦のようなかたちのアラベスク模様のなかから、だんだんと長方形が浮び上がり、やがてきっぱりとした長方形だけの画面が生まれる。(Work B 1956-1959)


作品の変遷――
(編集中)