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読書メモ

An undergraduate. The contents uploaded are mainly notions about books I read, especially anthropology.

ゴドリエ、モーリス『人類学の再構築 人間社会とは何か』序章

2011年、明石書店、訳者は竹沢尚一郎、桑原知子。
序章「人類学はなんの役に立つのか」

●内容概略
序章ではゴドリエの、人類学に対するスタンスのようなものが述べられている。
まず前半では、近年の人類学を取り巻く「危機」が述べられ、人類学の宿命、今日の世界の概観および人類学の立場、そしてゴドリエの見解のようなものが続く。
後半では、『文化を書く』などで見られる問いに対する、ゴドリエの考えが記述される。この辺りは、いままでのゴドリエの考え方のまとめのような部分でやや抽象的。

●感想
「人類学者の政治性はどうなのか」とか、「民族誌は結局フィクションなのでは」という問いに対してゴドリエはいくつかの答えを提示している。

人類学者の政治性についての答えの一つとして、
「ようするに、人類学者の認知的自己とは単に知的な自己であるだけではない(それは社会的自己の特殊ケース以外のものではない)。それは同時に、そして必然的に、倫理的自己であり、政治的自己である。」[:54]
補足:
・倫理的(職業倫理的)とは、参与した社会に対する人類学者の理解の仕方を参与した社会の成員と議論すること、そして自身の研究の出版がもたらしうる結果について意識的であること。
・政治的とは、「自分の仕事を遂行する歴史的コンテクストについて意識的」であること。


あるいは、「「文学的」テクスト」に対する答えを提出する。民族誌は、「文学的」テクストではない、という答えだが、その理由は二つあり、
ソフォクレスシェークスピアなどの登場人物と異なり、人類学者が参与する社会は、彼が参与する以前も以後も存在しているから。つまり、複数人によって記述されることが可能である。たとえば、マリノフスキーが参与したクラについて、彼の死後も多くの人類学者によって観察され、その記述がより豊かなものになっているのである。
ソフォクレスシェークスピアなどの作品は、彼らが作りだした世界なのであって、彼らが書く以前には存在しないし、書いてはじめて存在するので、著者の死後それを補うことも訂正することも不可能だから。つまり①のように、言い換えればクラについて補うようには、シェークスピアを補うことはできない。

・・・

ゴドリエはマリリン・ストラザーンのように、スティーヴン・タイラーを引用して問いの輪郭を浮かび上がらせようとする箇所があった。そして、問いに対して答えてはいたものの、方法の定式化という点では、ハラウェイを援用したストラザーンの方が、うまく作りあげた感はある(サイボーグを用いた視点の構成など)。
ただ、両者の比較は自分にはできるはずもなく、とりあえず続きを読む必要があることはわかった。