読書メモ

An undergraduate. The contents uploaded are mainly notions about books I read, especially anthropology.

Godelier, Maurice 2011, The Metamorphoses of Kinship. まとめ①

 

Introduction, pp.1-10.

 

1.「親族」の変化――現代の展開

  20世紀の最後の30年は、家族関係や家族についての考え方において、変動(upheaval)が見られた。同時に、私たちは人びとの生活における甚大な変化も見た。

  いくつかの事実がこの変化を実証している。

●異性間におけるもの

 例えば、結婚の減少、別居や離婚の増加など。そしてこれにともなう再婚した家族や父子(母子)家庭の出現および増加。
ただ、上記のように、婚姻上の家族が変容する中で、結婚の軸(axis)は弱くなろうとも、認知(filiation)の軸はいまだなお強固である。つまり、「誰の子どもであるか」については、私たちの考えは強固であると思われる。

  しかし、認知それ自体ももはや自明ではない。というのも、近年の生物学における発見や新しい生殖技術の登場によって、それを定義することが非常に複雑になっているからである。たとえば代理出産などがそれである。
ここから生じる疑問:「本当の」母とはいったい誰であるのか?

  ただ、これらの変容が親族の世界を深く変えようとも、ヨーロッパにおいて長らく親族の定義および表象(representation)の基盤であった原理を揺るがしているわけではない。
 その原理:親族とは基本的に、生物学的、系譜的つながり(tie)両方の世界である。そしてそのつながりというのは、時間的に連続した異なる世代間(親と子など)、あるいは同世代間(夫婦)の、同性(父と息子、兄弟、姉妹など)または異性(夫婦、姉弟など)の個人間でのつながりのことである。

 

●同性間におけるもの

  にもかかわらず、以前は禁止されたり抑圧されたりしてきた「夫婦(unions)」が、ここ20数年来で、明るみに出るようになったし、程度の差こそあれ世論にも暗黙に受け入れられるようになった。たとえば同性カップルなどがそれである。

  ここで私たちは二つの逆説にあう
①同性カップルは結婚を求める一方、異性カップルは結婚を避けつつあるという逆説。
②同性カップルにおいて、親であること(parenthood)というのは、単に多かれ少なかれ社会的、感情的なリアリティであることによって、十分に実現されうるものであるという逆説。

 

●これらに向けて

  これらの現代の展開(development)は今一度、親族に関する人類学の秀でた役割を確認するものであるかもしれない。そしてそれは、多くの法学者、政治家、心理学者たちによって実証されてきたかもしれないことでもある。
だが、人類学者はいまだ親族に関する興味はあるのだろうか。人類学者は親族について1980年代にも関心を持つことをやめてしまったのではないだろうか。

  人類学の花であり得意分野であると考えられてきた親族の研究について確かめる前に、私たち自身の親族システムの原理について振り返ってみよう。

 

2.西欧における親族の歴史――19世紀

  西欧のシステムには3つの構成要素があるのだが、それは私たちの社会で親族関係の深層構造(deep structure)を維持するよう、私たちを互いに結びつけるものである。そしてそれは、西洋人が生まれ育つときのフレームワークである。
 3つの構成要素
 ①一夫一妻である核家族
 ②姻戚あるいは血族によって関係した家族のネットワーク
 ③自己を起点とした親族(Ego’s kindred)[文化人類学のレッスン参照]

 

●親族、アンシャン・レジーム以前/以後、「教会」から「市民へ」

  親族の分野を成すこれら3つの要素は、アンシャン・レジーム下で存在した。しかし、これらは他の要素とも関連していた。それはフランス革命と1804年のナポレオン法の発布の後に消えてしまったか、新しい社会での状況の変化とその変化による新たな道徳、性に関する秩序にさらされたりしたか、というものである。

  それというのは、アンシャン・レジームに特有のこの、価値、実践、権利の形状(configuration)のことである。これらは、1804年の「市民的な」結婚の制度とともに変化し始めた。結婚は、「教会へ記録」するものから「国の登録機関」へ記録されるものになった。

  19世紀では、同棲はいまだ汚名を着せられていた。
その汚名:同棲は、低階級の人びとによる、あるいは社会のしきたりを守らないことを選んだ個人による実践である、という汚名。後者は例えばアーティスト(artists)。
  権威を行使するのは相変わらず父だった。もちろん、同性婚は禁止されていた。そして結婚は、市民的なものにせよ宗教的なものにせよ、カップルをつくりだした(founded)行為(act)だった。

 

3.西欧における親族の歴史――20世紀

  いま、19世紀をさっと概観したが、これは1960年代以来増加してきた変化を示すためのものに過ぎない。1960年代というのは、変動のはじまりの中で新しい社会が形を帯び、広がり始めた(began to thrive)時期だった。そしてこの変動というのは、第二次世界大戦とその後の世界の二分という局面までに西欧でつくられた(wrought)ものだった。

 

●権威(authority)――男女平等へ

  1970年のフランスでは、父の権威(authority)という考え方は放棄され、親の権威というものに取って代わられたが、これは父母双方に平等に共有されたものであった。そしてこれは、親に対して責任を申し付けた(enjoined)のだった。何に対する責任かというと、道徳、安全、教育、健康、さらには別居や離婚に関する責任であった。親の権威は、こうして公衆の秩序のための機能(function)とみなされ、これは国によって保証されたのだった。

  ただし、1975年にはフランスで、「相互の同意」による離婚が可能となり、2009年には結婚したうちの39%が離婚している。

  というわけで、一般的に言って、私たちの社会では、結婚はもはやカップルをつくりだす行為ではないのである。

  たしかに、縁家(related families)のネットワークはいまだ存在しているし、その成員にサポートをおこなったりする。そしてそれは生まれや婚姻上の家族の境界を越えおこなわれている。若者の失業や不況の時には、特にそうである。しかし、これらのネットワークは縮小し始めているのである。

 

●変化の要因――「個人」への価値づけ

  振り返って、20世紀半ば以来の西洋社会で親族の形態や実践を修正(modify)してきた要因とは何なのだろうか?
 ①:カップルをつくる相手を自由に決める権利に対する強調(emphasis)
 ②:社会的、個人的生活のあらゆる領域での両性間の平等への社会的圧力の増加、およびジェンダー役割の変化。
 ③:子どもおよび子どもであることへの積極的な価値づけ。子どもは「理性がない」というような存在ではなく、すでにひとりの人(person)である。そしてその誕生は耐えられないものと言うよりは望まれたものである。さらにいえば、医療の発達で、計画されたものでさえある。

  これらすべての変化は、深化する傾向(deeper current)に伴うものである。そしてその傾向は親族の分野から現れたものというよりは、社会的生活すべての領域において見られる傾向である。その傾向とは「個人というもの」の促進(promotion of the individual)である。
  親になることは困難になってきているし、私たちは、多くの家族が親の権威のはかりしれない危機(profound crisis)を経験しているのを目の当たりにしている。これは母というよりは父により影響しているかもしれない。というのも、伝統的に父がおきてや権威を体現する存在であったからである。

  要するに、21世紀初頭における家族は、もはや社会の礎石でもなければ安定的な基盤でもないように見える。加えて子育ての権利を要求する同性カップルの増加も見られるのだが、これも結婚、家族、親であることを予見するのを難しくさせる要因になっている。

 

4.親族――世界的には?

 

●西欧の世界的な展開?

  世界的には、家族に対するこれらの最近の変化は西洋の民主的な社会の展開(evolution)に伴っているように思える。その社会に見られる特徴は、個人の主導権と利益を尊重し、それゆえ原則として、公私における専制的な形式を拒否するものである。

  第二次世界大戦後から数十年の間に現れはじめたこの展開を誰も予見できなかったし、今日においても誰一人この運動が私たちをどこへ連れていくのかを知らない。

  この家族の展開は社会全体の世界的な展開(the global evolution of society as a whole)と関連したものである、と表現することは、次のようであるといえよう。つまり、結婚、家族、愛や欲求についての多くの言明を、非常に多くのイデオロギーの宣言と見なすようなことである、と。ここに隠れるのはもちろん個人であることへの尊重だろう。

  これに対しては、世界が混乱したと悲観する者、家族というものはすでに瀕死なのだと考える者、個人の自由獲得を喜ぶ者などさまざまである。

 

5.このような状況へのあるべき態度

 

●どのようにアプローチするか

  このような、今日の社会に対する「悪魔化」や「天使化」のはざまで、判断を下す前に、実際の状況や実践に関する子細な調査(inventory)を行うという態度があることは明らかであるだろう。
  この態度においては、理論的な想定を括弧に入れ、人びとの話に耳を傾けることである。人びとは彼ら自身や他者について、あるいは彼らの過去や現在について話すだろう。そして現在の実践に関する論議に正面から向き合うことである。そしてこれらの実践や論議は、個人の個人的な記憶や言及といった時間枠組みよりもさらに長期の時間枠組みに位置づけられる必要がある。この時間枠組みとはヨーロッパ社会の近代史(the modern history)の枠組みである。

  上の態度では、歴史家と人類学者との手法を合わせて用いることになる。
・歴史家・・・よく知られていない過去を再生する(bring to life a past)
・人類学者・・・距離を取りつつも内部から現代社会を観察

 

●人類学は親族研究から退いたのか?

  40年の間で、世代ごとに人類学者は親族研究の原理(principle)や基盤(biological or/and social)を定義、再定義を繰り返す中で、その調和(accord)をついに崩してしまったように思われる。ただ、「ポストモダン」を標榜する人類学者以前でさえ、人類学者にとって親族は主要な対象で無かっただろう。

  実際には、親族研究の「不在」は、以下の研究が示すように、人類学の別の領域へと移行したという事実に由来する。そしてそこでは新たな装いで、あらたな問題へと向かうものになっている。言い換えれば、親族の分析は人類学が何十年と堂々巡りし、誤った原理(false principles)のもとで不毛な問題に拘泥していた場所を捨て去ったに過ぎない。この空白期間は、何も死の宣告というわけではない。
  だけども、親族研究の始まりから見ていくことにしよう。

 

以下、メモ

・親族に関する知識

・簡単なフランス史(cohabitation...同棲?なぜ蔑視されていたのか)