そしてまた自分はまわりくどく、夜は更けていく
その人がいない場面で、その人との関わりによっていかに自分が嫌な気持ちになったりいかに不快と感じたりしたかを、誰か他の人に話すことは、少なくないかもしれない。
誤解をおそれずに言えば、目の前にいない人の悪口を言うことである。
こういうことをしたとき、何らかの罪悪感にさいなまれることになる。
何をやっているんだろうか自分は、と。
そしてまた落ち込む。
もちろん、時と場合によってはその限りではないことは、その通りだろう。
すべての局面でそうである、と一般化することはできない。
いま想定しているのは、日常的にかかわりを持っていて何らかの(制度的な)権力関係もおそらくなく、ある程度は対等であると言えそうな相手のことである。
そうした相手について誰か別の人と、本人が不在の場面で不満をもらすようなことをすると、嫌な気分になることがある。
「言いたいことがあるのなら直接言えばいい」というフレーズが思い浮かぶ。
誰かに愚痴をこぼすなら、第三者ではなくその相手に直接伝えることは、不可欠とまではいかなくとも、大事なことだろう。
ただ、そういうことができればとっくにしている(かもしれない)のであって、できないから第三者に話すということもあると思う。
愚痴をこぼしたいだけということだってあるはずだ。
だけど、やっぱり当の本人に、できる限り細やかに思っていることを配慮しながら伝えて、何らかの反応を待ち、そしてまた応答するというやり取りが、できるのが理想ではある。
と言いつつも、ほとんどできてこなかったし、これからもできないことが多いと思う。それでも、もしどうしてもという気持ちがあるのなら、話せる状況があると良いよなぁとも思う。
それに、直接伝えるときのその仕方も、人格攻撃ではなくて、どちらかといえば「(人格とは切り離した)批判」に近いような、そういう仕方でできたら良いなと感じる。難しいけれど。
それとなく一般的であるかのような話だが、あくまで自分のことなので、がんばろうとしか言いようがないかもしれず、そうしてまた夜は更けていくということだなぁ。
白い線
雪が降った。
とても寒い夜だった。風が吹き、木々は揺れていた。
空を舞う白い埃のようなかたまりが、傘を持つ右手の甲に冷たい。
夜の街、好きな音楽たずさえてわけもなくスキップする。
蛍光色の街頭や色あせた街路樹を背景に、ひとり嬉々として暗闇に身を投げ出す。
高層マンションの光、薄汚れたアスファルト、泥に汚れた車のバンパー。
妙に白けていて、どれもまるで今の気分に合わない。
それでも、雪だった。
***
朝起きて太陽は、雲一つない青空に輝いていた。
突き刺す陽光が、白い地面に照り返りまぶしかった。
近所の公園では子どもたちがはしゃいでいた。雪だ、と。
確かにそうだ、と僕は思う。雪だ。
それは非日常である。誰かにとっては。
馬鹿馬鹿しいと思うだろう。
それに、僕は雪の何たるかを知らない。
遠く異国の地から送られてきた写真には、真っ白な空と真っ白な雪原が写っていて、それらを水平線が切り裂いていた。
公園で拾った雪がとても冷たかった。