深夜・版画・自己肯定

今日も夜が更けた。部屋を出て街へ行けば、信号と街灯が夜道を照らし、ひっそりとした空間が広がっているはずだ。

 

夜が更けたのは版画を彫っていたからだ。版画を彫っていたのは本を読む作業に集中できなかったからだ。本を読む作業に集中できなかったのはスピッツを聴いていたからだ。スピッツを聴いていたのはご飯を食べてぼんやりしていたからだ。ご飯を食べたのはどうしても勉強がはかどらず部屋に戻ってきたからだ。今日も何も進まない。

 

周りと比べてみる。僕自身はどうだろうか、と。周囲の人は、何らかの目標に向かっている。前進し、近づき、反省し、程度の差こそあれいくぶんかの充実さをその手に握りしめているように見える。

 

 

時間を彫れば、決して細かくはない線ができる。彫刻刀の切れ味は、よくない。
更けた夜をインクにして僕自身に擦れば、なにやら浮かび上がるものがある。

 

それは何だろう。僕の顔? 顔だけではないはずだ。

言葉は紡げず、イメージは浮かばず、部屋から出ることもなく、ただ過ぎていく時間。
ただ過ぎていくだけならば、時間が意味を成すわけではない。それが何かしらの立体感をもって肉迫してくるのは、それは僕が日常に切れ目を入れる必要があるときだ。
誰かに会う、面接をする、買い物をする、労働する…、多くの場面で僕は僕自身として一貫性のある人なのだ。そのとき、時間が過ぎ去ったものとして妙なかたまりとなって、一挙に僕へ降りかかる。

 

時間が過ぎたという事実が蓄積してできたよくわからない細胞膜の様な薄い区切りのなかで、窒息しそうになる。することはできないけれども。

 

 

話を戻せば、周りは進んでいるのだ。進むって何だろう、周囲との比較って何だろうと問うことはしない。単純に素朴に、それだけだ。だから明日は、何しよう。

 

 

そぼろ雪

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雪が降ると決まって思い出す景色は、とくにない。

 

さいきん過ごしているあたりではめずらしく、今年はよく雪が降る。
寒いけれど、やはりうれしくなって散歩のついでに近くのスーパーまで歩いた。

 

天気は曇り。日は見えないが重い感じはしない。道端にはいたるところに雪の塊がある。きっと誰かが雪遊びをしたのかもしれない、いや単に雪かきをしただけかも、などと想像する。人が歩いたり、車が通ったりしたせいですこしだけ灰色がかっている。他方で、家々の屋根は均等に白く染まっている。まだ誰も足を踏み入れていない。ときおり鳥が飛んできては無造作に歩き回っていた。

 

 

 

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スーパーの売り場で、何やら宣伝をしている女性の店員がいた。60代くらいだろうか。
バレンタインデーが近いこともあってか、スーパーにはチョコレートコーナーが設けられていて、その傍らでその人は仕事をしていた。
チョコレートの種類はさまざまだったが、どれも文字通り「甘い」ひとときを演出するような感じの、でもなんとなく安っぽい雰囲気のものだった。
しゃがれ声で「さぁさぁ買っていって!」、とても元気な声で売る様子は、一目見てあまりチョコレートが想像させる場面とは合致しない。
チョコレートってそういうふうに売るものだっけ? すこしおかしくて、ふふっと笑顔になった。

 

 

その人の声を聴いて、今日もまた僕はかつての記憶を思い出した。数年前に給食センターで働いていたころの記憶である。目のぱっちりした笑顔が素敵な女性。例えるなら、ほんの少しだけタレントのYOUみたいな雰囲気だったかもしれない。ちょっと違うかな。
でも、また昔の思い出話ということで、いつもと似たような感じになるので今日はやめておこう。
雪も降っているし、その景色をあついコーヒーでも飲みながら眺めていよう。