ネガティブフィルム

写ルンですを現像した。半年前に旅行用に買ったものの旅先では使い切らず、以来気が向いたときに撮っていた。

 

昼過ぎ、空はどんよりと曇っている。駅前の小さなカメラ屋さんに足を運ぶ。古びたドアを押し店に入ると、子どもを連れた女性がタッチパネルを操作しているのが目に入る。デジタル写真のプリントをしているらしかった。それを横目に自分はカウンターへ行き、店員に声をかける。

依頼したのは全部で40枚くらい撮れるタイプのやつだ。9枚ほど余りを残していたが、気にせず現像する。料金は1500円を下回るくらいで、1時間ほどでできるという。すぐにできるものだと思っていたので、急に時間を持て余してしまった。仕方がないから、そのまま下り電車に乗って出かける。しばらくして、写真データを取りに戻ったのは夕方6時を過ぎたころだった。風が強く吹いていた。

 

申し込み表の写しを店員に手渡す。おもむろに店員は出来上がったフィルムを取り出し、何かつぶやきながら写真の出来を確認していた。教卓の前で成績表を配る小学校の先生をほうふつとさせた。長期休暇直前の小学生にでもなった気分だ。

 

今回の成績は悪かったと思う。「あれ、うまく写っていないものがありますねえ。」先生はよそよそしく他人事のようにつぶやく。自分と先生は他人であることを確認する。関係性が現像され一枚の写真となった。事実、他人事なのだから。

 

部屋に戻って出来栄えを確認する。あらためてみてみると、現像したものの三分の一くらいは灰色がかっている。何が写っているのか、ほとんどわからない。いつ撮ったか、何を撮ったか、そうした形になるべき記憶はどこかへ消えてしまった。いまとなっては手元にグレイの長方形が残るだけである。

 

少しだけネガティブな気持ちになって、コーヒーとジャムパンを用意した。しかし、少しだけ安心感もあった。それは、現像した何枚かが鮮明に写っていたからというよりは、過去が過去のままにどこかよそへ行ってしまったからだった。過ぎ去ってしまったいつかの記憶。そうしたイメージを、写真はいそいそと眠りから覚まし自分のもとへと運んでくる。でもどうやら今日は、眠ったまま起きなかったらしい。安らかなまどろみの中で眠り続ける思い出たち。

 

曇り空のような写真の傍らには、不気味なほど鮮やかなイチゴジャム。5枚切りの、少しだけ厚い食パンの上に塗り広げられている。耳がフレームとなって、今日の日を映し出す。少しだけ口に含んだブラックコーヒーがほろ苦かった。

 

 

空模様を映したような淀んだ海にしばらく浸っていた。生ぬるい潮水が心地よかった。

ネガティブになった僕は、いったいどんな写真を写すんだろう。